すきすきノート

ノーテンキときどきセンチメンタル

年も変わるので大好きなひとの話をしようと思う

大好きなひとのライブを最後に見てからそろそろ1年が経とうとしている。


のんびりたのしかった思い出も、こころにヒュンとすきま風が吹くような思い出も、熱狂はなかったけれど、2020年を作っていた大事な出来事だった。

そんな年でも彼はいついかなるときも変わらなくて、どんなことにもまっすぐな姿勢をもった優しいひとだった。
だからわたしは彼の前では優しいひとでありたかったしそうしてきたけれど、たのしかったね、良い思い出だね、だけでは到底くくれない2020年のことを思い付く限り羅列していこうと思う。

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私が最後に彼と話をしたのは見知らぬ土地の家電量販店の地下だった。
その日のステージは後方からあまり見えない構造だったため、彼の表情も、すごく曖昧なもので思い出せない。
のんびりしていて心地の良い3日間の旅は、全部全部、たのしかった。

翌日の仕事のため、ライブをはやく切り上げて、
歩き慣れないまちを急ぎ足ですすみ、やっとの思いで乗り込んだ新幹線でいちごみるくをのんでいたシーンがいまも記憶に新しい。

ライブの思い出は曖昧なのに、いちごみるくの味は舌に残っている。
なんとも不思議だけれど、ライブが目的であるものの、移動時間をはじめライブ以外の瞬間のほうが長いわけで。彼らのライブを見に行くときは前後の出来事まで含めて記憶を形作っていたのだ、ということにいま振り返って気づく。


私には翌日からも日常がやってきて
彼らにもまた日常がやってきていた、と思う。
次の週にはまた大好きなライブが見られると疑ってもいなかった。

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そこからはあまり記憶がない。
けれどもSNSに残っている自分の言葉を見ると精神的にダメージを受けていたのだろうと思う。

おそらく、この1年のなかで一番情緒が安定していなかったとき。
当たり前に来ると信じて疑っていなかった出来事が、プツッと回線が切れたようになくなってしまった。

わたしが当たり前と思っていた事柄のほとんどは、あると信じているだけでもともと存在していないものなのだと。その衝撃に打ちのめされたと同時に、学びを得たのもこのときだった。

大好きなライブも、ひとつひとつの表情も、その瞬間が執り行える環境がなければ私は楽しむことができない。
環境なんてどこでもあった、あの世界がいまは心から恋しい。

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厳密に言うと最後に姿をみたのは3月の下旬、
いわゆる「魔の3連休」という時期であった。

そのときの外出を、目に焼き付けた景色を後悔しないようにその前後は手洗いうがい消毒、という慣れない行為を徹底して行っていた。

いまはもう生活の一部になっているけれど。


まっすぐに歌い、踊り、思いを言葉にする、表現する彼とその仲間たちの勇姿を目に焼き付けることができて、わたしは幸せ者だった。
彼がまたあの舞台に立つことができるように、たくさんのお客さんのいる景色を見ることができる世界が訪れるように、願ってやまない。

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4月からは非日常が立て続けに起こり、予想していたことがなくなったことに加えて、予想していないことが起こり始めた。

自らの仕事も止まってしまって、彼らだってもちろん例外ではなく活動が制限された。
自分のなかのフラストレーションばかりが募っていった。
そんな世界でも彼ははたらいていた気がする。

いま思い返せば、みんなが止まっていた世界は4月のひとつきだけだったのではないかと思うし、
すぐに、世間が、世界に取り残されないように動き始めた気がした。
経済的な理由だけでなく
『人々の記憶から取り残されるわけにはいかない』というように風向きが変わったときのことを
妙に鮮明に覚えている。

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彼らも新たなコミュニケーションの取り方に乗り出した。
私自身、諸々のイベントにも比較的参加できたが
それは自分の仕事に余裕があったためだ。
自分が用意していたものが披露できなくなった、
その感覚を自らの仕事でも痛感して苦しかった反面、暇だったからこそあらゆる機会に顔を出すことができた。

皮肉なものだなあと思うが、一時的な休息だったのだから、たのしんでいてよかったなと思う。

なかでも個人配信の彼はとても生き生きとしていて、いまもまたやってほしいと思っている。
彼が好きなことをやっていて、それをファンが遠くから見ている、その状況がとっても心地よかった。

配信というセルフプロデュースの塊であるコンテンツを通して、それぞれの仕事に対するスタンスが垣間見えたような気がして興味深かった。

そして逆説的だけれど、
自分がどういう姿を応援したいのか、見続けたいのか、なぜ彼を応援しているのか、ということが
この配信期間にずいぶんとクリアになった気がする。

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話は少し飛ぶけれど、彼、そして彼らにも変化が起きた。
その変化は私が仕事に戻れないくらいのメンタルダメージだったので、当人たちにとってはもっと大きな衝撃だったのだろうと思う。

ただ、誰が悪いでもなにが正解でもなく
それぞれの正義と正義がぶつかり合って生まれた結果なのだと私には思われたし、この出来事も大きな2020年の学びとなった。

わたしも彼の仲間に文を出した。
自分のエゴを押し付けるだけやもしれないが、それを受け取るも破るも当人次第なので送らせてもらった。


その先、まだまだ試練は待ち受けていて、
誰よりも健康でいてほしいひとが未曾有のウイルスに侵されたこともあった。
悲しい、というのは少し違っていて、いずれ皆かかるものだと思っていたものの、いざ彼らとウイルスの名前が並ぶことにまったくもって頭が追い付かなかった。

事実としてそこにあるのに、消化のできないまま、数日を過ごしていた。
あの時間で彼らはなにを思っていたのだろう。
私たちが知る由もないが少しだけ気になった。
そして、彼らにしかわからないであろうその気持ちや思いは忘れないでいてほしいな、とエゴイストなオタクは思った。


復帰後は大きなイベントのアンバサダーやシングルのリリースなど、忙しい「いつもの」彼らをみることになった。

時に心配になることもあったが、どんな仕事にもまっすぐな彼らを見ることが出来るのは、わたしの生活の糧にもなった。
一切手を抜かないのが彼らの良いところで、魅力で、心を動かすのだと改めて思った。

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秋になり、非日常だった日々がすっかり日常に馴染んできた頃、当初はおっかなびっくり挑んでいた配信ライブも手慣れたものになってきていた。

ただ、このときは本当に思い出がない。
自身の仕事も前に進まざるを得なくなり、ウイルスにも良くも悪くも馴れがきて、マスクをする以外は比較的「普通」の世界に戻ってきていた頃だ。

情報が追いきれなくなったのもちょうどこの頃で、振り返って記憶がないことが自身が離れていたということを証明していると思う。

申し訳ない、なのか、不甲斐ない、なのかは分からない。
自分の生活があっての趣味だとは思っているが、追えていないことが多すぎて、ファンを名乗って良いのだろうかとすら思った。

私は、どんなに彼が遠い存在だとしても彼のことを応援したいと思っていたと思う、と本人に伝えたことがあるが 、実際は近くで見られるライブありきだったのではないかと少しだけ落ち込んだりもした。

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無人の配信ライブから、小さな規模、屋外、規定人数の数%以下、各所でリアルライブが再開されるなかで別のひとたちのリアルライブに足を運んだことがあった。

比較的再開のはやかった舞台には、少しずつ足を運んでいたが、ライブという形式はは約9ヶ月ぶりだった。

開始から数秒後の感覚がいまも忘れられない。
リアルが恋しかったのだと、本能的に思った。

頭では配信ライブなりによいところがある、なんて思っていたけれど。
物分かりの良いファンを装っていたけれど。
実際にステージの熱量を感じてしまったら、リアルに勝るものはないと気づいてしまった。
自分の心も、頭も正直だった。

自分だけでなく、本人たちの熱さだってきっと、対面には勝らない。
そう気づいてからは、配信ライブへの熱も若干下がってしまった。


とはいえ、世の中がこれまでのように動き始め、
ファンとの関わりを再開する組織がポロポロと出てきた頃、彼と顔を会わせて言葉を交わす機会が訪れた。

そのときに思ったことは、日頃はライブを中心に、共有しているものがあったからこそ、伝えたいことも沸いてきたのだけど、なにも共有していない状況では、何を話せばいいのか分からなくなるということだった。

中身のない話ばかりをしていたと思う。
ただ、このときも大好きなひとは優しくて、少しだけおかしくて、対面で言葉を交わしていたときの感覚が甦ってきて、あたたかい気持ちになった。


もちろんライブがないと話すことには困るけれど、応援する気持ちがゼロになったわけではなかったことに少しだけ安堵した。

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そしてつい最近。いつもよりも少しだけ長くお話しをすることができる日があった。

通常の5倍くらいの時間が与えられていたので(!)少し真面目な話をしてみた。
彼は画面越しだったけれど、まっすぐな目で話を聞いてくれた。

その姿を見られたことがこの1年間で一番嬉しかった出来事だった。
苦しかったことも浄化されるような気がするくらい愛しい時間だった。

どんなことにもまっすぐでひとの話を真剣に聞くことができるひと。
そしてとても優しいひと。
だからわたしは応援しているんだって、気づくことができた。


このひとには幸せであってほしい、と思った。


自分がずっと、という言葉を信用していないので
ずっと応援する、と伝えたことはないけれど。
彼には、彼らにはずっと幸せであってほしいとは、心から思っている。

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ずっと、永遠、という言葉をこんなにも疑った1年はなかった。
大好きなひとを取り巻く環境だって、こんなにも変わると思っていなかった。
だからこそ一瞬を大切にしながら大切なひとを大切とを思えるひとでいたい。


最後に。とある女の子が言っていた
『“ずっと”という言葉を、私は祈りって意味だと思ったんですよね』
という言葉の解釈を借りて、彼に伝えたいと思う。


大好きなひとへ。
あなたのことを、ずっと、応援しています。